わが子を野球へと導いてゆく一部始終
私の十年来の宿願でありました関西旅行を、ついに結構する日がやってまいりました。
以前も書きましたが、定額給付金が10万以上出たのと、高速道路が1,000円乗り放題ということで、嫁のGOサインが出ました。まさにタロー・アソー様々です。
今回の旅行の目的は、
〇わが家のルーツと思われる神社を訪れる
〇スカイマークスタジアム・甲子園で野球観戦をする
〇キッザニア甲子園で職業体験をする
この3本立て。うち上の二つが私の宿願です。
昨晩23時ごろに福岡を発って、今日4時に姫路に到着。
終始安全運転で、途中で休憩を入れながらの旅路でしたが、思いの他早く着きました。
観光するには時間が早く、当然子どもたちもまだ熟睡中だったので、私も3時間程度の仮眠をとってからわが家のルーツと思われる姫路市内の神社を訪問。
この神社は、うちの姓と同じ名の神社でして、わが家のご先祖様はおそらくこの地域の出身だと思われます。
といいますのも、わが家は、黒田長政を藩祖とする黒田藩の下級藩士だったのですが、黒田家も姫路だからです。
ハッキリとした資料はありませんが、伝承でも黒田家に付き従って福岡に来たといいますから、ご先祖様はこの一帯の出で黒田家配下だったと見て間違いないと思ってます。
さて神社。
台風の影響で前日までは水害み見舞われていた兵庫県でしたが、今日はうって変わっていい天気。
クマゼミのワシワシ鳴く鬱蒼とした森に、神社は鎮座していました。
どこにでもあるようなありふれた神社でしたが、ここが先祖となんらかの関わりがあるかと思うと、そこのあるもの全てが神々しく感じました。現金なものですが、まぁ、信心なんてそんなものでしょう。
子どもたちにこの神社がどんな神社であるかを説明して参拝。
賽銭は奮発して100円にしました。普段はどうかすると1円もあるんで、相当な奮発です(笑)
1時間程度散策した後、たまたま近くに書写山がありましたので訪問。
書写山は、西の比叡山と言われるほどの霊場らしいのですが、私はそんなことは全然知りませんで、ここは戦国時代に播磨攻略のために一時期羽柴秀吉が陣を据えていた場所で、これは私の勘違いだったのですが、秀吉のブレーンだった竹中半兵衛が没した地だから一度行ってみたかったのです。(半兵衛の没した地は平井山でした・・・)
なぜに竹中半兵衛かといいますと、彼は黒田長政の命を救った人だからです。
簡単に書きますと、敵に捕らえられた長政の父吉孝を、織田信長は敵に寝返ったものと断じ、司令官の秀吉に息子長政を殺すよう命じます。寝返っていないと見ていた半兵衛は、この役目を自ら買って出て長政を処刑したとウソの報告をして匿いました。
この時、半兵衛が長政を匿っていなければ、当然黒田52万石はありませんでした。黒田家が福岡に来ていなければ、うちのご先祖様も来ていないわけで、私も倅も存在していなかったということになります。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、わが家にとって竹中半兵衛は大恩人なんです。
ってことを倅に説明しましたが、ポカーンでした(笑)
もうちょっと大きくなってからもう一度話してみましょうかねぇ。
場所を間違ってましたが、とりあえず合掌・・・。
次に関西に来た折には平井山に行くことにします。
最後に、折角姫路に来たのですから、ここは行っとかねば、ということで姫路城へ。
国宝っていうだけあって、巨大な城でした。
攻めるには大軍が必要でしょうけども、これは守るのも相当な人数が要りますねぇ。
本丸まで登ろうと思ったのですが、あまりに暑いんでボツ。皆、死にそうになってました。
でも、ここまで来て何もしないのも勿体無いので、
国宝を背にしてキャッチボール。ワハハ!
大手門をくぐったところに広大な広場があったので、つい・・・。
国宝の中でキャッチボールとは、なかなか面白かったです。
叱られる前に止めましたが。
てな感じで歴史探訪な一日目が終了。
夕方、神戸まで移動して宿泊。
神戸の夜を楽しみたかったのですが、あまり寝てなかったからでしょうね、ちょっと一休みとベットに横になったが最後、皆コテっと寝てしまってました。勿体なかったです・・・。
以前も書きましたが、定額給付金が10万以上出たのと、高速道路が1,000円乗り放題ということで、嫁のGOサインが出ました。まさにタロー・アソー様々です。
今回の旅行の目的は、
〇わが家のルーツと思われる神社を訪れる
〇スカイマークスタジアム・甲子園で野球観戦をする
〇キッザニア甲子園で職業体験をする
この3本立て。うち上の二つが私の宿願です。
昨晩23時ごろに福岡を発って、今日4時に姫路に到着。
終始安全運転で、途中で休憩を入れながらの旅路でしたが、思いの他早く着きました。
観光するには時間が早く、当然子どもたちもまだ熟睡中だったので、私も3時間程度の仮眠をとってからわが家のルーツと思われる姫路市内の神社を訪問。
この神社は、うちの姓と同じ名の神社でして、わが家のご先祖様はおそらくこの地域の出身だと思われます。
といいますのも、わが家は、黒田長政を藩祖とする黒田藩の下級藩士だったのですが、黒田家も姫路だからです。
ハッキリとした資料はありませんが、伝承でも黒田家に付き従って福岡に来たといいますから、ご先祖様はこの一帯の出で黒田家配下だったと見て間違いないと思ってます。
さて神社。
台風の影響で前日までは水害み見舞われていた兵庫県でしたが、今日はうって変わっていい天気。
クマゼミのワシワシ鳴く鬱蒼とした森に、神社は鎮座していました。
どこにでもあるようなありふれた神社でしたが、ここが先祖となんらかの関わりがあるかと思うと、そこのあるもの全てが神々しく感じました。現金なものですが、まぁ、信心なんてそんなものでしょう。
子どもたちにこの神社がどんな神社であるかを説明して参拝。
賽銭は奮発して100円にしました。普段はどうかすると1円もあるんで、相当な奮発です(笑)
1時間程度散策した後、たまたま近くに書写山がありましたので訪問。
書写山は、西の比叡山と言われるほどの霊場らしいのですが、私はそんなことは全然知りませんで、ここは戦国時代に播磨攻略のために一時期羽柴秀吉が陣を据えていた場所で、これは私の勘違いだったのですが、秀吉のブレーンだった竹中半兵衛が没した地だから一度行ってみたかったのです。(半兵衛の没した地は平井山でした・・・)
なぜに竹中半兵衛かといいますと、彼は黒田長政の命を救った人だからです。
簡単に書きますと、敵に捕らえられた長政の父吉孝を、織田信長は敵に寝返ったものと断じ、司令官の秀吉に息子長政を殺すよう命じます。寝返っていないと見ていた半兵衛は、この役目を自ら買って出て長政を処刑したとウソの報告をして匿いました。
この時、半兵衛が長政を匿っていなければ、当然黒田52万石はありませんでした。黒田家が福岡に来ていなければ、うちのご先祖様も来ていないわけで、私も倅も存在していなかったということになります。
ちょっと大袈裟かもしれませんが、わが家にとって竹中半兵衛は大恩人なんです。
ってことを倅に説明しましたが、ポカーンでした(笑)
もうちょっと大きくなってからもう一度話してみましょうかねぇ。
場所を間違ってましたが、とりあえず合掌・・・。
次に関西に来た折には平井山に行くことにします。
最後に、折角姫路に来たのですから、ここは行っとかねば、ということで姫路城へ。
国宝っていうだけあって、巨大な城でした。
攻めるには大軍が必要でしょうけども、これは守るのも相当な人数が要りますねぇ。
本丸まで登ろうと思ったのですが、あまりに暑いんでボツ。皆、死にそうになってました。
でも、ここまで来て何もしないのも勿体無いので、
国宝を背にしてキャッチボール。ワハハ!
大手門をくぐったところに広大な広場があったので、つい・・・。
国宝の中でキャッチボールとは、なかなか面白かったです。
叱られる前に止めましたが。
てな感じで歴史探訪な一日目が終了。
夕方、神戸まで移動して宿泊。
神戸の夜を楽しみたかったのですが、あまり寝てなかったからでしょうね、ちょっと一休みとベットに横になったが最後、皆コテっと寝てしまってました。勿体なかったです・・・。
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